本ブログでは、人名がフルネームになっている場合は、敬称を外しているのと同義です。または、特に意味なく敬称を抜いたりつけたり(”◯◯先生”と突然書いたり)するかも、しれません。
南部陽一郎がノーベル賞をとったとき、”南部を南部先生と呼ぶのは、偉人に対して「先生」と呼ぶのと同義である”という旨の文章を読んだ気がします(検索したが、見つかりませんでした)。たとえば、「アリストテレス先生が」と今頃になって言う/書くようなものでしょうか。存命中なのに敬称が外れるかどうか、がポイント、または理系特有の考え方なのかな、とも思いますが。
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北尾吉孝のブログをたまに読んでいたのですが、『論語』などの中国古典の引用がやたらと多い。しかし、常に筋が通っているなぁ、この人は、よくよく日本、世界のことを考えられているのだなぁ、、と思うようになりました。それで、一冊本を買ってみました(北尾吉孝『私の古典ノート 君子をめざせ小人になるな』)。この本は、北尾さんがこれまでどのように中国古典に親しんできたか、他の人にどう学んで欲しいか、が書かれています。
素晴らしいな、と思ったのは、北尾吉孝自身が、謙虚な気持ちを示しており、「自分もまだ勉強中だが、これまで学んできたことを共有し、新しく学ぶ人たちに、どう読み進めるかを説く」ような内容であることです。
p188より引用
<・・・私自身がまだ勉強の途上にあり、すべてを理解しているとはいえませんが、理解している範囲でお話したいと考えています。>
この記事のタイトル、「『論語』を読みはじめた」というよりは、『論語の解説』を読み始めた、というのが、正しいです。飽きっぽい人間ですが、ぼちぼち読み進められば、と考えています。
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北尾吉孝日記
http://www.sbi-com.jp/
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